■ホテルに着いてさっそく探索に出かけることにした。
歩いてみるとなるほど、まともなレストランはほとんどなく、中国人がやっていそうな観光客向けの日本レストランらしいものがあるくらいだった。小さな食料品店で細長のバケットとチーズを買い、ホテルの自室に戻った。そしてあらためて町(いや、村)の案内図を見てオヤッ?と思った。その案内によると村の名はロワシー。ロワシー?ロワシーってもしかして?
そう、風変りで異端ながら気骨あるフランスの文学賞、ドゥ・マゴ賞をとりながら、赤裸々な性描写ゆえに長いこと論議の的となった官能小説(といって言いのかな?)「O嬢の物語」の舞台となったあの中世の村「ロワシー」だった。
■そんなことを『フィフティ・シェイズ・ダーカー』を見ながら思い出していた。2年ほど前に日本でも鳴り物入りで公開された『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の続編だ。
じつは1作目を見たときはなんの予備知識もなかった。なぜに日本でもいわくありげに紹介されたのか、その内容もなにもかも。見終わったあともとくに感想もなく、取り立ててその出自に関して調べることもせず2年が過ぎてこの2作目。そして前の筋を少しずつ思い出しながら見ていて、ふと思ったのだ。これは現代版『O嬢の物語』を気取った物語だったのかと。というかO嬢のパクリかこれは?
1億5000万部超という気の遠くなるような大ベストセラーとなった三部作原作を書いたのは、ロンドンに住むE.L .ジェイムズという家庭持ちの女性だという。 |
O嬢を気取ったのかと思ったのは作者が女性ということもあった。1954年に書かれた「O嬢の物語」はポーリーヌ・レア―ジュという女性作者が書いたものとされながら、一方でそれはジャン・ポーランという男性有名作家のペンネームであって、女性作家ではないという論争が続いていた。
決着がついたのは1990年代に入ってから。実際に書いたのはドミニク・オーリーという女性ジャーナリストだった。ジャン・ポーランの恋人だったという彼女は、女性がセクシャルな文章など書けるはずがないと彼に言われ、鼻を明かすために書いたというのが真相らしい。そういう時代だったのだ。ドミニクは先駆者だったとも言える。
■映画が始まってすぐに、こんどは舞台がアメリカ西部のおしゃれな街、シアトルであることに気付き、気分が上がった。1作目ですでに判明していたはずなのにやはりぼんやりと見ていたのだな、前回は。
シアトルと知って食いついたのにはわけがあった。じつは試写前日、シアトルの女子サッカーチーム、シアトル・レインで活躍する川澄奈穂美、川澄ちゃんが1試合4アシスト1ゴールという快挙を成し遂げ話題になっていたから。女子サッカーファンの筆者ももちろんネット観戦していたが、1試合4アシストは米女子リーグNWSLの歴史に刻まれる新記録だった。そして興奮冷めやらぬ翌日に見たのがシアトルを舞台にしたこの『フィフティ・シェイズ・ダーカー』だったというわけ。
連想ゲームのような2度目の「フィフティ・シェイズ」体験だったが、エロチッ |