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インタビュー INTERVIEW 『あさがくるまえに』カテル・キレヴェレ監督 オフィシャル・インタビュー 9月16日(土)からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開 |
9月16日(土)からヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開される『あさがくるまえに』。これが長編3作目となるカテル・キレヴァレ監督のオフィシャル・インタビューを紹介する。 |
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——メイリス・ド・ケランガルの小説を映画化しようと思ったきっかけは何でしょうか? 本作のプロデューサー、ダヴィド・ティオンが原作の『Réparer les vivants (Heal the Living)』をとても気に入り、出版から2、3日後にくれました。きっと私も気に入るだろうと。 結果的に脚本は私の前作と同様にパーソナルなものとなりました。またこの小説はとても力強い映画的な冒険を約束してくれました。臓器の旅は解剖学的かつ詩的で、さらに形而上学的な方法で身体を撮影することを可能にしたのです。生きている生物の内部をどのようにして撮影するのか?このような場所を探索するためにはどのようなルールを破ることになるのか?この些細だけれど神聖なものが混然とした映画的な挑戦は、私の1作目の長編作品『聖少女アンナ』(10)を思い出させました。またスティーヴン・ソダーバーグ監督が手術の黎明期を描いたテレビシリーズ「The Nick/ザ・ニック」(2014‐15)を最近見て強く興味をひかれ、映画の中で手術を描くことはとても興味をそそられることとと思ったのです。 ——原作者と会われたそうですね。原作の権利取得には時間がかかりました。かなり多くの人がこの原作に心奪われていたのですが、最終的にケランガルはジル・トーランと私に託してくれました。彼女は私たちと一緒に書くつもりはないと最初から言っていましたが、意見をする権利は留保していたので執筆中の主要な段階ごとに話し合いました。私には、原作の小説を尊重することが何より重要でした。ドキュメンタリー的な要素と、叙情的で情感に溢れた感性が混在するエッセンスに忠実でありたかったのです。また物語のヒューマニスティックな熱意に共感するという使命も帯びていたと思います。 ——本国フランスでベストセラーを記録した原作を映画化することに萎縮するようなことはありませんでしたか? メイリスがイエスと言ってくれたときはプレッシャーを感じました。私は世界でいちばんの幸せ者だし、同時に自分の双肩にとてつもない重みを感じました。 ——前作『スザンヌ』(2014年にフランス映画祭で上映)はほんの数人の人物に焦点を当て、20年にわたる出来事を描いています。一方、『あさがくるまえに』は複数の登場人物の24時間の出来事を追っています。 本作を映画化したもう一つの理由がそこにあります。新しい物語と時間的な表現に挑戦したいと思ったのです。映画製作や表現形態で譲歩をせずに、より幅広い客層に受け入れられるものにしたかったのです。 ——映画は常に流動的に出来事を追いかけますが、一刻を争うという描かれ方はしていません。むしろ感情的なレベルでの切迫感を感じました。 思わぬ落とし穴は、物語で死を探求することにあったと思います。だれが死ぬのか?両親は息子がドナーになることに同意するだろうか?だれに心臓が移植されることになるのか?移植を受けた患者は生きることができるのか? ——冒頭で若者に死が訪れるにも関わらず、監督はいつも生の側に立っていますね。この物語は、人生においてカオス化していくもの、つまり暴力的になる可能性のあるものすべてを抱えもっています。つまり生命がいかにして奪われるのか。それと同時に生の原動力となるものがどのようにして強くなるのか。それは死をどのように変換するのか。そして喪失がもたらすショックから、私たちはいかにして立ち直るのか。人は、死をめぐる道程の中でどのように回復し輝きを取り戻すのかという問いかけは、前作『スザンヌ』でも触れています。スザンヌは母の死による喪失に取り憑かれている女性です。私はこの作品を生きている者の視点から描きたいと思いました。死者ではなく、残された者たちの視点です。 ——原作では、臓器移植を受けるキャラクターは映画ほど掘り下げられてはいませんでした。 本を読む時は好きなところで休むことができますし、読み進めてどんどんイマジネーションを広げることもできます。一方映画は閉じられた空間で味わうもの。闇の中で一定時間ひとつの場所に閉じ込められて映像を見せられる。ですから、映画のストーリーを理解しやすくするためには、もっと重層的で、かつ柔軟性を持たせるべきだと考えたのです。それが、臓器移植を受ける側の視点を採用した理由です。 ——本作のフラッシュバックは1回だけ、シモンがガールフレンドと出会う場面だけでした。
原作にあったケーブルカーのシーンがとても印象に残っていました。シモンとジュリエットが一緒に下校するシーンです。彼女はケーブルカー、彼は自転車で。そして頂上でふたりは出会う。この上昇はふたりの恋の燃え上がる熱情のメタファーであり、愛する人と出会うシモンを描くことで彼という人物を紹介したかったのです。私たちは、この若者に感情移入できるような部分を描くこと、つまり彼の物語に時間を十分に割くことはできませんでした。ですが、このフラッシュバックはタハーム・ラヒム演ずる臓器移植コーディネートの看護師トマの「シモンはどんな青年だったのだろう?」「彼はこの身体でどんな人間関係を築いてきたのか?」という疑問に答えることにもなるのです。 ——撮影場所の病院でも、実際に時間を過ごされたんですよね?はい、共同脚本家のジル・トーランと私は病院で長い時間を過ごし、数多くの専門家と会いました。医師役のドミニク・ブランやカリム・ルクルー、そして外科医などの役柄に扮した俳優たち全員と心臓移植手術の見学もできました。撮影監督トム・アラリもそこにいました。私はのちに振り返って正しい全体像を見つけるために、現実を糧にする必要があります。手術室のシーンは、手術の時間軸の配列や動作ができるように特に正確なものになっています。精密さは必要不可欠です。映画のなかで医学的な専門性を表現することは完璧でなければなりませんでした。これらの職業における専門性の端正さと挑戦は、純粋にとても魅力的でした。自分が実際に目にしたものを分かち合うことは、映画をつくる上で重要なことだったのです。 ——当初から、心臓移植の場面を撮影するつもりでしたか?非常に単刀直入にこの手術場面を描くことは、小説で用いられている大胆なアプローチでした。これはこの企画の肝心なところでもあります。というのは、私は自分の手に文字通り命を握っている人々の力量と技術的な手腕を通じて、キャラクターたちを明確にすることを希望していたからです。手術を示すことで、心臓という複雑な臓器の完全な映像を見てもらえます。私たちのなかの触れることができない無形なもの――感情や個性そして魂――を心臓は包括しています。一方で、実際に触れられ、目に見える筋肉が開かれ、縫い合わされ、誰かの身体に縫合されるのです。あえてそれを直接見て、物理的にも感情的にも、どのように臓器が移植されうるかを見極めることが絶対必要でした。 ——この映画は、全編にわたってそこから浮かび上がる、具体的でありながら、なにか目にみえない、蝕知できない信念によって伝えられています。 そうです。それは私が特にモーリス・ピアラの映画を見て学んだものです。この効果を得るために、それを誇張する洗練された照明のもと、ドキュメンタリー・タッチで非常に正確な仕事と対峙しました。撮影監督のトム・アラリ、セット・デザイナーのダン・ベヴァン、そして私は、カラヴァッジョの絵画や、『戦慄の絆』(88)などの一連のデヴィッド・クローネンバーグ監督の映画にかなりインスピレーションを得ました。ささいなことと神聖なものとの狭間にすべてが集中されました。つまり、臓器移植は配管工事や裁縫のように非常に具体的な作業でありながら、同時にまるで魔法のような何かであるということ。その事実を、人はどのように再確認するのでしょうか?外科医という存在に、何か神的なものがあると信じられずにはいられません。命を奪い、そして、与える……、それは完全に常軌を逸していることなのです。 ——深い昏睡状態にあるシモンに話しかけるトマの姿は、この映画に抽象的で神的なタッチをもたらします。
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms(場面写真すべて) 脳死とは、正式かつ法的な技術的解釈によって死を認められた状態です。そしてまた、象徴的かつ感情に訴える死があります。こちらは心臓の動きが止まったときに訪れる死です。それでは、どの瞬間に私たちは死を受け入れるのでしょうか?ふたつの種類の死があるにも関わらず、シモンにさよならを言えるのは、彼の心臓が彼の身体を離れたときだけです。私は見る人にこの矛盾を経験してほしかったのです。 |
あさがくるまえに |
■Staff&Cast 監督:カテル・キレヴェレ 共同脚色:カテル・キレヴェレ/ジル・トーラン 原作:メイリス・ド・ケランガル 出演:タハール・ラヒム/エマニュエル・セニエ/アンヌ・ドルヴァル/ドミニク・ブラン/クール・シェン/ファネガン・オールドフィールド/ギャビン・ヴェルデ/アリス・タグリオーニ 2016年フランス=ベルギー(104分) 原題:RIPARER LES VIVANTS 配給:リアリーライクフィルム/コピアポア・フィルム 9月16日(土)からヒューマントラストシネマ渋谷ほか |
■カテル・キレヴェレ監督 KATELL QUILLEVERE 1980年コートジボワール生まれ。パリの高校で映画を学び、パリ第8大学では哲学を専攻。2005年に初の短編映画がカンヌ映画祭の監督週間に選出。07年にはセザール賞の短編賞にノミネートされた。10年に『聖少女アンナ』で長編映画デビュー。カンヌ映画祭監督週間にふたたび選出されるとともに、新人監督の登竜門ジャン・ビゴ賞を受賞した。13年に長編第2作『スザンヌ』を発表。本作『あさがくるまえに』が長編3作目で、カンヌ映画祭の国際批評家週間のオープニング作品に選ばれるとともにセザール賞の5部門にノミネート。興行的にも成功した。 |
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